才能は誰もが持っている
野球のレギュラーに選ばれなかった時。絵を描いても、賞をもらえない時。バンドを続けていても、人に認めてもらえない時。ただただ、一部の一流の人たちを羨ましいと感じる時。
人は自分に才能がないことを恨んだり、人は平等じゃないと嘆いたりします。
また、自分は努力しない、ということに劣等感を感じたりするときもあります。親や先生に言われて学校の勉強をしなかったり、スポーツの練習をしなかったり。
しかし、それは違います。そういうことじゃない。
才能は誰にでもあります。ただ、才能の種類が違っていることに気づいていないだけです。
野球の例で言えば、Aくんは中学高校で野球としていたが、レギュラーにはなれなかった。
その場合、確かにAくんには野球の才能がなかったのかもしれません。しかし、ホッケーだったら一流かもしれない。囲碁だったら一流かもしれない。人を笑わせることだったら一流かもしれない。
ただ、その才能に気づいていないだけです。なぜなら、試していないから。
本当は野球の才能がないことに中学生までに気づき、他のことにチャレンジするべきかもしれません。
しかし、基本的に野球が楽しいということ、今まで頑張ってきたという過去、これらにより、野球から抜け出すことがなかなかできません。
楽しいなら、趣味でやればいい。ですが、もし何かで才能を発揮したり、仕事につなげたいと考えるならば、野球は遊び程度にして、他のことに片っ端から挑戦すべきです。
ここまで続けてきたのに、やめるのはもったいない。そう考えるかもしれません。しかし、やめるのはもったいない、と考えること自体がもったいない、のではないでしょうか。
才能は誰にでもあります。しかも、2つも3つも、あるいはもっとある。なのに、才能を持っていない何かに取り憑かれ、他のことに挑戦せずにいる。そして、気づかない。他のことに才能があることに。
ある程度は自分に才能があるかどうか見定めるため、最低期間は必要でしょう。バスケをする時に、3日でやめてしまったら、バスケに才能があるのかわかりません。
しかし、2~3年続け、芽が出ず、自分には身長もないとわかっているならば、自分が日本代表になったり、NBAに行くことはできないでしょう。せめて、学校の部活やサークルまでにとどめておくべきです。
自分の才能はきっと他にあります。きっとある。ビデオ屋さんに行って、映画を探すのと同じです。ずっと同じビデオを見ていたら、運命の映画には出会えません。
見たことのない映画を借りて続ける。たくさんのハズレがあるはずです。ですが、借り続けていれば、これだ!と思う映画に必ず出会う。
才能も同じ。