努力というコトバの二つの捉え方
「もっと努力して頑張らなくてはいけない」
よく学生時代に言われました。親や学校の先生、とにかく上の立場の人がよく使いますね。
しかし、中学生くらいまでは努力で何とかなることも多いのですが、高校生以上になると、通じなくなってくる場合があります。努力ではどうにもならないことが多いのです。
勉強だったら、5科の点数を伸ばすために、努力をします。机に向かって、ストレスまみれの問題集をひたすら解いていきます。
結果が悪ければ、親や先生に「努力が足りない」と怒られます。しかし、親や先生に怒られながら、いや嫌努力しても生まれる結果は目に見えています。
ただ、それでも努力して机にかじりつく時間が増えれば、それに比例して、多少は伸びる可能性はあるかもしれませんね。
これらの努力は、努力であり、努力ではありません。それは我慢です。
我慢が必要な時もあります。何かを始めた時、はじめは結果が出なくても、我慢して続けることでコツをつかみ、上手になったり、楽しくなってきたりする。その通りです。
ただ、一定のところまできたら、もう我慢では通用しません。まず、そもそも我慢が続きません。我慢とはスタートダッシュであり、継続的に続くものではないからです。
英語を学ぼうと思い、嫌いな文法や単語の暗記をしても、数日、数週間で挫折します。
ランニングが心から嫌いなら、人生最後のマラソンは高校のマラソン大会が最後になるでしょうか。大人になってから、自分で走ろうなんて絶対に思いません。
同じく、数学が嫌いなら、大人になってから数学を勉強しようなんて思いません。電卓でいいじゃん!で終わりです。
そう、嫌いことは確実に挫折するし、我慢は続かないのです。
勉強や仕事がうまくいかなかったり、嫌だったり、先生や上司から「努力が足りない」と言われているうちは、成功する確率は低い!
成功している人はほぼ確実に努力しています。ですが、その努力は我慢ではなく、「夢中」、「没頭」です。
努力とはこの我慢と夢中の両方の意味を持つのでみんなとにかく頑張ろうとする。しかし、とにかく頑張るのではうまくいきません。
自分が夢中になれる分野にシフトを変えなくてはいけないのです。単純な話で、ランニングが嫌な人は、走る努力をするのではなく、英語や数学をやればいいんです。その逆もまた然り。
苦手なことから逃げ、得意なことや好きなことをする。すると、自分では努力しているつもりはないのに、周囲から「頑張ってるね!」と言われます。
!?
頑張ってないけど。好きなこと得意なことに没頭している時っていいですよね。自分的には頑張ってないのに、周りからは頑張っていると言ってもらえるんだから。
だから、頑張ってもうまくいっていない人は、より一層の努力(我慢)ではなく、別の努力(夢中)を探すべきです。
夢中な努力をしている人でも、多少の我慢な努力はしているはずですけどね。でも、9:1か、8:2くらいではないでしょうか。これが逆の割合になっている人がとても多い。これはもったいないと思うんです。
我慢の努力は中3までです。一度は我慢の時期を持っておかないと、自分は何がどれくらい我慢できて、何が我慢できないのかわかりません。
中学と同時に我慢の卒業をしたら、夢中の努力をたくさん試してみましょう。以前、記事に書きましたが、人生をドラクエのようなゲームに例えるなら、技「ガマン」では、倒せる敵の数に限界があります。
でも、魔法「ムチュー」なら、倒せる敵に限界がありません。たくさん試して、どこでいつ、何をすれば、魔法「ムチュー」を会得できるのか。
さあ、冒険です。
では!